後醍醐天皇の御字、延長六年(九二八)「戊子」八月之比、自奥州見目能僧之浄衣着か、熊野参詣するありけり、紀伊国室の郡真砂と云所に宿あり、此亭主清次庄司と申し人の娵にて、相随者数在けり、彼僧に志を尽し痛けり、何の故と言事をあや敷まてにこそ覚えけれ、然に件の女房夜半計に彼僧のもとへ行て絹をうち懸、副伏云様、わら我家にハ昔より旅人なと泊らす、今宵かくて渡せ給ふ、小縁事ニあらす、誠一樹の影一河の流、皆先世の契とこそ承候へ、御事を見まいまいらせさうらうより御志し浅からす、何かハ苦敷へき、只かくて渡せ給候へかしと強に語ひけれハ、僧大に驚起直申す、年月の宿願在て、持戒精進而白雲万里の路を分、蒼海漫々の浪を凌て権現の霊社に参詣の志を運、争か此大願を破へみとて更に承引気色なし、女房痛恨けれハ僧の言、此願今二三日計なり、難無参詣遂、宝幣を奉り下向の時、?(いかん)にも仰に随ふとて出にけり、大方此事思も寄ぬ事なれハ、弥信を致してり、其後女房僧の事より外ハ思ハす、日数を算て種々の物を貯て待けれとも其日も暮けれハ上下の檀那にしかしかの僧や下向し候つると尋けれハ、或上道の先達さやうめかしき人ハ遙に過候ぬらんと申も終されは、偖ハすかしにけりと怒て、鳥の飛かことく叫行、設深き蓬か元までも尋ゆかんする物をとて、ひた走にはしりけり、道つきすりの人々も身の気よたちてそ覚えける
(絵)争か偽事をハ申候へき、疾々参候へし
(絵)かならす侍まいらせ候へし
出立する若僧を見送る女房、家の中では僧と女房が歌を交わしている絵
(絵)先の世の契りのほとを御熊野の神のしるへもなとかかるへき
(絵)御熊野の神のしるへと聞からになを行末のためもしきかなこれまてニて候、下向を御待候へ
僧と女房が別れている絵
(絵)なふ先達の御房に申候、我わか男ニて候法師、かけこ手箱の候を取て逃て候、若き僧ニて候か老僧とつれて候、いか程のひ候ぬらむ
女房が「若き僧を知らないか」と先達たちにたずねている絵
(絵)さ様の人ハ今ハ七八町と云事あらし、十二三町も過候へし
やや、先達の御房に申すへき事候、浄衣くら懸て候若き僧と墨染着たる老僧と、二人つれて下向するや候つると尋けれハ、左様めかしき人ハ遙に延候ぬらむといゑハ、あな口惜や、さてハ我をすかしにけりと追て行、縦くもの終、霞の際まても、玉の緒の絶さらむ限りハ尋む物をとて、きりむ・ほうわふなんとのとこく走とひ行けり、
(絵)能程の事にこそ恥の事も思ハるれ、此法師めを追取さ覧かきりハ、はき物もうせふかたへうせよとて走候
悲しそうに立っている女房を見て、旅人達は歩きながらヒソヒソと話している絵
(絵)女房ハ御覧し候か、あな/\恐しや、いまに此法師ハかかる人を見候す/\
(絵)あな/\口惜や、いちとてもあれ此法師めを取つめさらん限ハ心はゆくいましき物を、能程の時こそ恥もなにもかなしけれ、うらなしもおもてなしも、うせう方へうせよ
(絵)ここなる女房のけしき御覧候へ
(絵)誠にもあな/\をあそろしの気色や
片方の草履が脱げ走る女房を見て、手綱を取っている男と馬上の女が話している絵
(絵)人のあいたらんに、はつかしさハいかにけにもくるしかるましくハ、たひもせよかし
(絵)道にてハくるしからぬ物にて候へは、ふくたやしなハせ給へ
女に福田餅を勧める男、河岸で脚絆が解け困っている男の絵
(絵)きぬはりはきのにくさハ、くくりかとけてたらハこそあらめ
(絵あな/\口惜や、いかかハせむ/\、この身をハここにて、はやすてはてて、命を思きりめ河、なけきのなみた深けれハうき名をなかすとても、力なき事かな
山の間を流れる切目川を衣の裾をかかげ走り渡る女房の絵
(絵)きりめ五躰王子
切目五体王子の社殿の絵
(絵)やや、あの御坊に申すへき事あり、見参したるやうに覚候、いかに/\、ととまれ/\、ここハ上野といふ所
人違いと逃げる若僧を全力疾走で追いかける女房の絵
(絵)努々さる事覚候ハす、人たかへにそ、かくハうけ給候らん
(絵)己れハとこ/\まて、やるましき物を
笈も数珠も捨て逃げる僧、火を噴きながら追う女房
南無金剛童子助させ給へ、あな恐しのつらつふてや、本より悪縁と思しが、今かかるうき目を見る事よ、おゐも笠も此身にあらそやおしからめ、うせふ方へうせよ
欲知過去因 見其現在果
欲知未来果 見其現在因
女房は頸から上は蛇になり火焔を吐きながら追う絵
(絵)先世にいかなる悪業を作て今生にかかる縁に報らん、南無観世音此世も後の世もたすけ給へ
(絵)塩屋と言所
塩桶を担ぐ人と小屋が描かれている
(絵)南無大悲権現と口に唱え心に念して逃けり、自から人の気色したりしたにも心身につかす、いはむや蛇となれるを見つつ声も惜ますおめき行
後ろを気にしながら必死に逃げる若僧
(絵)ああ世末になれハとて、親りかかる不思議の事もありけり、目も心も不及
船頭は女房の脱ぎ捨てた着物を見ている絵
大蛇になり火を噴きながら日高川を渡っている絵
日高河と言かわにて、折節大水出て此僧舟にて渡ぬ、ふな渡に言様、かかる者の只今追而来るへし、定而此ふねに乗らんといハむす覧、穴賢々々、のせたまふなといひけり、此僧ハいそき逃けり、あむのことく来て渡せと申けれとも舟わたさす、其時きぬを脱捨てて大毒蛇と成て此河をハ渡りにけり、舟渡をハちけしと申て、いわうちにありけると日記にハ慥に見えたり、これを見む人ハ男も女もねたむ心を振捨て、慈悲之思をはさハ、仏神の恵あるへし
道成寺縁起絵巻 (巻の下)
日高郡道成寺と言寺ハ、文武天皇之勅願、紀大臣道成公奉行して建立せられ、吾朝の始出現、千手千眼大聖観世音菩薩の霊場なり、件僧此寺に参、事の子細を大衆に歎けれハ、衆徒感を垂て大鐘を下して僧を中に籠、御堂を立けり、此蛇跡を尋て当寺に迫来り、堂のめくりをたひ/\行まハりて、僧の居たりける戸に到、尾にて叩破て中に入て、鐘を巻て竜頭をくわへて尾を以たたく、さて三時あまり火焔もえあかり、人近付へき様なし、身の気よたちてそ覚かる。四面の戸を開き、寺中寺外の人々舌をふり目を細めつつ、中/\言葉なくてそ侍りける、偖蛇両眼より血の涙をなかし、頭をたかくあけ舌をひろめかし本の方へ帰りぬ、其時近く寄て見るに火いまた消す、水を懸て鐘を取除て見れハ、僧は骸骨計残て墨のことし、目もあてられぬ有様、哀みの涙せきあえす、老若男女近も遠も見るひとハ哀を催さぬハなし、其後日数経て在老僧の夢に見るやう、二の蛇来て我ハ鐘にこめられ参せたりし僧なり、終に悪女のため夫婦となれり、吾先生の時、妙法を持つといえとも、薫修とし浅くしていまに勝利にあつからす、先業限あれハ此悪縁にあふ、願ハ一乗妙法の書、供養しまし/\て廻向給へ然「者」吾?(ぼだい)を証し、得脱をゑん事疑なし、僧も後生を成就せむ事子細あるへからすと、夢現ともなく見えけり、則信を到、経を供養しけり、此事を倩私に案するに、女人のならひ高も賤も妬心を離れたるハなし、古今のために申つくすへきにあらす、されハ経の中にも女人地獄使能断仏種子、外面似菩薩内心如夜叉と説るる心ハ、女ハ地獄の使いなり、能仏に成事を留め、うゑにハほさつのことくして、うちの心ハ鬼のやうなるへし、然共忽に蛇身を現する事ハ世にためしなくこそ聞けれ、又たちかへりおもへハ彼女もたた人にはあらす、念の深けれハかかるそと言事を悪世乱末の人に思知せむために、権現と観音と方便の御志深き物なり、且ハ釈迦如来の出世し給しも、偏に此経の故なれハ、万の人に信をとらせむ御方便貴けれハ憚なから書留る物なり、開御覧の人々ハ、かならす熊野権現の恩恵にあつかるへき物なり、又念仏十返観音名号三十三返、申さるへし
道成寺の楼門前、お宮との間の入り江に橋が架かっている絵
(絵)なにとさえける事そ、誠しからぬ事かないかてか空事を申入る候へき
(絵)たたおけ、きりなくて見せむ、もの/\しく
跪き訴える若僧、任せておけと余裕の僧達や長刀を持った武士
(絵)大唐ハそもしらす、我朝に取てはいたく其例ありとみきかす、言語なき事かな
(絵)その事ニ候、いくたの森に身を捨てし女も、しにてこそ鬼となりけるときき候へ
(絵)其鐘を御堂の中へ入よ、戸をたつへし
(絵)かやうの事を各々にハとくいはて、かねひきかつきてあやまちすな
下ろした釣鐘の中に隠してもらっている絵
(絵)ああ
たたをけ、これほとの物を
ゑい/\
(絵)希代ふしきの事かな
とハなに事そ
それを見守る僧達の絵
お堂の前で若僧を探している大蛇
釣鐘に巻き付き火焔に包まれている
鐘を倒した中から黒こげになった若僧、それを悲しむ僧達や近隣の人達
老僧が絡み合った二匹の蛇の夢を見ている
何人もの僧達が写経をしている
(絵)一切恭敬
高僧や僧達が法華経供養を行っている
其後老僧夢に見る様、清浄の妙衣着たる二人来て申す、一乗妙法の力によりて、忽に蛇道を離れて巧利天にむまれ、僧ハ都卒天にむまれぬ、この事をなしをハりて、各々あひわかれて、虚くうにくかいてさりぬと見えけり、一乗妙法の結縁いよ/\たのもしくて、人々をこたらすよみけり
老僧が天女の様な妙衣を着た二人の夢を見ている絵
(絵)声を高くあけてよむ
正直捨方便 m説無上道
香炉の前で読経したり、読み終わったり、大事そうに経持っている絵
(奥書) 花押
右此御判者 御公方様天正元年十二月日望興国寺被移御座節、此縁起為御所望之間即懸御目、御感不斜、可為日本無双之縁起、時代廻此勧見不思議也、被出仰末代之御縁、被印御判、時別当永叶、御盃相添御太刀一腰御馬一疋下給候而己
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※ 奥書は将軍足利義昭が織田信長に追放されたのち、天正元年(一五七三)十二月、日高郡由良興国寺に滞在中、この絵を見て奥書されたものである。
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