古道関係の古書

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車で行く 熊野九十九王子
    
    
地図上のコースでクリックできます。 熊野の山脈
    

 熊野詣では、「歩くこと」が霊域へ通じるための行(ぎょう)と書かれている事もあるが、ホントかな〜って疑ってしまう。中世以後の伊勢、熊野、西国三十三ヶ所をセットで回っていた庶民はけっこう物見遊山気分だったようだし、熊野御幸時代の上皇達は淀川は舟、熊野川も舟を使用している。舟のように楽に行けるものがあれば舟に乗り、道中は定家ですら馬や輿に乗ったようだ。熊野御幸記に主に書かれているのは、熊野に着くまでの儀式や規則、道中の王子を祀り奉幣し、垢離をした事である。悪業穢れを祓うて熊野の聖地に参ったあと、帰洛までの道中は何の儀式もないので中右記の藤原宗忠は和歌浦に寄ったり、藤原定家は1日に80kmも急いだりして王子社には見向きもしていない。

 悪業穢れを恐れなくなった平成の人間は、古道の近く車が通れる道を選び、1000年前のけがされていない紀伊山地、熊野信仰を思い描きながらのドライブが平成の熊野詣ではなかろうかなんて、横着をこじつけて考えてしまった次第 (^o^)

「近頃大水があったのか一面のごろた石が広がり、葦が一方向に見事に倒れている川原から、行列は灌木の林に吸い込まれていく。海岸近く潮香が匂うのに密に茂った木々で見通しがきかない、抜けたとたん燦々と輝く白い砂浜に澄み切った蒼い空の下での潮垢離。岩田川の流れを何度も何度も渡る水垢離。ひとたび山に入れば肺から火を噴く如き急坂の連続に何日も山蛭に悩まされ・・・・」 車で行くことによりこんな事を空想する余裕ができ、古代の神々の一片でも感じればいいのじゃないでしょうかネ〜。

 尚、調査に使用し車は、三菱リベロ18004w、車幅169cm、車長427cm。
狭い道にギリギリ乗り入れているので、これより大きな車は無理です。


 *熊野九十九王子
「按ずるに、凡そ熊野参道の九十九餘所の王子と稱するものは、いにしへ熊野御幸の折から、都よりの道すがら、或は修禊をなし給ひ、或は遙拝をなし給ふ所の地にして、畢竟其時に臨んでたつるところの神祠ののこれるなり。是を王子と稱するものは、熊野伊弉冉尊の御子に准へ奉りての名なるべし。」 紀伊名所図絵 巻之三 中山王子の項より。


※紀伊道・中辺路の面白いと思ったサイト
  熊野九十九王子    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%8D%81%E4%B9%9D%E7%8E%8B%E5%AD%90
  熊野九十九王子紀行 http://www.geocities.jp/tatubou44/oujikumanokikou.html
  熊野古道のすべて   http://www.asahi-net.or.jp/~pf8k-mtmt/koindex.htm
  熊野古道九十九王子 http://www.kamnavi.net/kumano/
  和歌山県街道マップ   http://kanko.wiwi.co.jp/walk/index.html
  み熊野ねっと      http://www.mikumano.net/ 
  遍照の響熊野古道記 http://henro.gozaru.jp/mokuzi/001-koyasan-mokuzi.htm
  熊野倶楽部       http://www.mottokumano.jp/


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