正五位下中宮小進の藤原為房の日記「為房卿記」に熊野参詣記が記されている。出発前の精進の様子がどういうものであったかが書かれているので興味深い。出立の8日前の13日から慎み出仕をひかえるが、14日三井寺と延暦寺の合戦が起こり参内するがため精進を延期している。16日陰陽博士から送られてきた熊野詣勘文にしたがい「精進始17日」「出京21日」「本宮の奉幣10月5日」「帰京11日」と決まる。17日より20日まで同行する2人の息子と共に南隣小屋で毎日みそぎ祓いを続け21日早朝出洛している。精進屋には注連縄を引き、僧による清めの祓いを行い、魚味は食べず毎日みそぎ祓いを続けている。
「為房卿記」の日程略訳
九月十六日 權陰陽博士有行より熊野詣勘文を送來る。其の日次、十七日精進始、二十一日出京、十月五日奉幣御燈。
同 十七日 南隣の小屋に精進を始む。
同 廿一日 鶏鳴の頃出京、桂川の邊に至り解除、山崎より乗船、石清水八幡宮に参詣後、三島江に留る。
同 廿二日 天王寺に参詣、住吉に奉幣、和泉堺に泊す。
同 廿三日 和泉國府に着す。
同 廿四日 日根王子の傍に着し王子に奉幣す。
同 廿五日 紀伊國名草郡雄ノ山口に着す。
同 廿六日 日前國懸に奉幣の後、藤白に至る。
同 廿七日 在田郡勧學院に着す。
同 廿八日 在田と日高の郡界鹿瀬山中に着す。
同 廿九日 日高郡鹽屋に着す。
同 卅日 日高郡石代に着す。
十月 一日 乗船、太萬浦に着し、牟婁郡三栖に留る。
同 二日 牟婁郡滝尻宿に至る。
同 四日 内湯川に留る。
同 五日 本宮に着、先ず音無川に解除の後、修理別當精深房に着し、申刻三所の御前に奉幣、了つて禮殿に於て御明を供し、又経供養を行ふ。
同 十三日 京着、稲荷社の奉幣を了へたる後歸。
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為房卿記
永禄元年(一0八一)
九月十三日、丙申、自今日致慎不出仕、依可企熊野詣也、前日以待中季部「実俊」終身暇了。
十四日、丁酉、今暁薗城寺僧徒数百口卒兵士攀登台山南大峯放火、警固小屋山僧合戦、辰剋追返了、午後公家遺検武士等於叡山不逢悪僧空以帰洛、但三井寺僧八人延暦寺所捕進也。
十五日、辰戊延尉併源平両氏之五位以下諸衛府等、差遺薗城寺所残之房中兵士可捕進云々、然間延暦寺僧徒重以襲来、先日焼く残之房舎等不残一屋皆以焼亡、天下大事盖以謂之歟、乍立参内依件?為令延引精進??有殿下の気色、云々。
十六日巳亥、權陰陽博士有行朝臣今日送熊野詣勘文、始精進「十七日」出京、「二十一日」奉幣御燈「十月十五日戌午」但十月五日戊午八尊之内也、十一日申子、可参着陰陽頭道言示之、有行云、戊午与甲子用三宝為勝、戊午用吉事共用神事、戊午不用者内々也、神奉戊午甲子不用者敦氏説也、
十七日、庚申、今日、辰刻、於南隣小屋始熊野精進、愚児両人同以相企、以観増上人被解除、令引注連出洛期近自一昨不食魚味。
二十日、癸卯、金執、
精進之間日々沐浴解除。
二十一日、甲辰、火破、鶏鳴出洛、先解除、即取注連随身到桂川之辺重以解除流之、到今山崎乗小船、午剋参石清水宝前奉幣了、權別当頼清橋下儲游艇併珍菓、又渡辺住人、武久サクソウ(小舟の意)主従乗之、日没風起 留三嶋江。
廿二日、乙巳、火危、
遅明播州大渡武久送精菜果物、午剋参天王寺、???舎利三粒、出現以修諷誦、次参聖霊院依可向堺辺、不令糧絵又不起宝義又先々依奉礼也、申剋参住吉社奉幣、戌剋着和泉堺之小堂、住吉神主國元依罷神主清経送粮米等。
二十三日、丙午、
申刻、着和泉國府南郷之簫寺、國司送粮米清菜。
二十四日、丁未、酉刻、着日根王子、傍之小堂先奉幣王子之神主又供燈明??王子の宝殿同之。
廿五日、戊申、土開、
申刻、着紀伊國雄山口湯屋、留守令送粮米、聖与又坐好。
廿六日、己酉、土閇、
今日、経國府南路故参日前国縣両社奉幣、酉剋、着藤白人宿、吉志庄賀田庄送種々、今朝浴紀伊御川解除。
廿七日、庚戌金閇。
申刻、着有田郡勧学院、宮原庄宿、土民宅本庄等石垣庄送粮料米等。
廿八日、辛戌、
戌剋、着鹿背山中宿草庵。
廿九日、壬子、
酉剋、宿塩屋上野牧預宅、日高郡友高、薗財庄日高庄等送粮糧等。
卅日、癸丑、
戌剋、着石代住人宅、凡除歩之間多入、更漏。
十月一日、甲寅
辰剋、乗海人舟、未刻着太萬浦、同時越留三栖庄家散位正資、秋津庄那賀庄贈羇族之資。
二日、乙卯
雨降、戌剋、登着瀧尻之人宿。
三日、丙辰、申剋、着近湯之屋、先浴近湯之河水。
四日、丁巳、酉剋、着三階之人宿、先浴内湯川。
五日、戊午、午剋、浴無音川解除、着修理別当勢深房、申刻参御前、先奉幣、次奉供幡花鬘代於三所之御殿、次於禮殿(奉経御修)奉供御明供養数申之経王大郎童奉幣経供養、同以奉仕次郎丸、今日依当襄日半夜奉幣併経供養、先是退下宿坊休息之後又参?行諷誦、後夜罷出納経念珠等護貫、云々。
六日、己未、未刻、稽留三階之宿、次郎童依窮崛也。
七日、庚申、酉刻、着大坂之草庵、今夜、漢月影清也、猿声幽誠不耐羇情者也、深更、三栖住人正継等随身十字千日之珍来問柴戸。
八日、辛酉、未剋、下瀧尻乗馬、十余疋自所々索来、酉剋、宿三栖、散位正資朝臣儲、綺饌於私宅所龍蹄了。
九日、壬戌、酉剋、着日高郡司友高之宅、事儲豊騰也、此日於切戸山耶奈木参?笠
十日、癸亥、自夜雨降、酉刻、着有田郡宮原庄、住人吉閨(國イ)儲饗饌与駘了。
十一日、甲子、戌刻、着和泉信達庄、宿大工宅、今日任官後日聞之、大和守日被成経「旧史年労」安房守菅之成時「史去春」□、左近少将藤原隆宗兼任木工頭任日不給、兼字猶依申請重有此恩也。
十二日、乙丑、酉刻、着住吉神主宅。
十三日、丙寅、戌刻、参稲荷社奉幣是例事也。庄極技?笠同刻帰洛、先到精進屋解除、次日本所休息了、今度修行如兼日支度毎事物吉。