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熊野道之間愚記(読み下し文)
 十七日 夜雨降

今朝猶陰、風甚だ寒し、明日新宮下向の舩更に以って之れ無しと云々、御所の召以下皆闕如すと云々、病を扶けて(先僧供事)末の時ばかり御所に参る、以前に出御し了んぬ、芝僧供すと云々、御所前庭[西向の禮殿也、]両塔の前東西の行に(公候は左右に候し殿上人は庭に候す)筵を敷きて客僧の座となす、山伏は各其徒を引率し、相替りの座次第に之を引かれおわる、即ち起って又替る、今日人々は皆着楚々の装束(長袴張下袴供花の時の如し)予は獨り存せず、日來の御會の装束を着す、甚だ見苦し。此間御前に参り、心閑かに禮して奉る、祈る所者は只生死を出離し、臨終の正念也、僧供了り(御參御前事)、參御前に参らしめて候す、次第に御所作了る、昨日如く還御、殿上人は前に在り、公卿は其の後に在り、次に山伏御覧、公卿・殿上人又御前の近邊に候す、山伏の作法は恒例と云々、要無きに依って委しくは注せず、寒風に術無し[渡御の前に乘舩して山に向かいて入る]、見了り即ち宿所に入る。今夜は種々の御遊(御參御前事)有るべしと云々、此の先達、験の競事を構ふと云々、所勞に依って宿所に臥す。

 十八日  天晴
天明に寶前に拝し河原に出でて(乘舩間事)乘舩[宛てがう給う所、乘舩は一艘乗り行く間の事、私に三艘並に四艘、共に下人等の多くは止ね了いぬ、略侍三人を定め力者、法師二人、舎人一人、雜人等也]覺阿闍梨本房は老屈と称して参らず、圓勝房は相具す[精進屋より伴う所の先達也]川の程に種々石等有り(或は権現の御雜物と称す)末の一點許り新宮に着し奉拜、小時にして御幸例の如く前行して先ず寶前に参らしめ給ふ(少入御結宮事)、次に御前に入御、次に立烏帽子、帰參良久しゅうして出御、(御奉幣事)御奉幣は本宮の如し、予祝師之禄を取る前の如し、事了りて御経供養所に入御之間、私奉幣す、稠人(人の多きさま)例の如き帰參して、御経供養の布施取る、次に例の如く乱舞、次に相撲有り此間に宿所に退下、夜に入りて加持の爲寶前に参る、僧等參着し來會せず、仍って事之由を間ふ、先達に示して御所に参る、例の和歌訖り退下、又序あり。
 

 十九日  天晴
遲明に宿所を出で又道に赴く、(輿持來仍猶乘之、傳馬等僅少之師沙汰送先達侍等乘之)山海の眺望は非無輿無きにあらず、此道又王子数多く御座す、末の時那智に參着す、先ず瀧殿に拝す(那智御參の事、嶮岨の遠路は暁より不食にて無力、極めて術なし次に御前を拝して宿所に入る、小時御幸ありと云々、日入之程に寶前に参る、御拜之間なり(奉幣)又取祝師の禄を取り了り、次に神供を供えしめたもう。別當之を取り儲く、公卿次第に取り継ぐ、傳公事一萬十萬等御前、殿上人猶次第に之を取り継ぐ、予同じく之を取る、次に御経供養所に入御、例の布施を取り、次に験クラヘと云々、此間私の奉幣、宿所に退下、深更御所に参り、例の和歌訖って退下[二座也、一は明日の香云々]窮屈病氣之間、毎時夢の如し

 二十日  自暁雨降
松明無く天明之間、雨忽ちに降る、晴間を待と雖も、彌注ぐが如し、仍って營を歩一里許行、天明風雨之間、路窄く笠を取るに及ばず
[甚雨蓑笠]、蓑笠輿中海の如く、林淙(淙は野葬に同じ)の如し、終日嶮岨を越す、心中は梦の如し、末だかくの如きに事に遇わず、雲トリ紫金峯は手を立つるが如し(紫金越事)、山中只だ一宇の小家有り、右衛門督これに宿す也、予相替りて其所に入り、形の如く小食す、了って又衣裳を出す、只水中に入るが如し、此の邊りに於ひて、適雨止み了る、前後不覺、戌時許り、本宮に着す寝に付く。此路の嶮難は大行路に過ぐくまなく記すあたわず。

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