清水章博氏がお父さんの筆写した「御幸記」を忠実にワープロ化したものですが、HPに掲載するにあたりやむなく単純化し ております。 |
後鳥羽院熊野御幸記
昭和十四年四月京都博物館に後鳥羽天皇七百年記念
拜展の会ありて藤原定家卿真蹟の御幸記(三井高知男所藏)の出
陣あり文字草赱讀み難し四五日を費して之を寫した
り誤寫保し難し 云々
中根 七郎
曩ニ明月記(刊本)より寫せるものあるも往々誤植
あり、定家卿自筆のものより寫せるものとの事に付
更に寫しおくものなり。併しこれにも字体不明によ
る召遽はある様之
昭和十五年六月 龍 水 生
建仁元年十月藤原定家御直筆の『熊野御幸記』はもと井上侯の所藏
なりしが、今は三井男の有に渡せるもの。今東京尚古会より釋文を附し
て寫眞版として□行せるも書を以てこヽにその釈文によりて朱筆にて校
正す」を付したる処は寫眞版の一行の終なり(芝口常楠しるす)
後鳥羽院熊野御幸記
京極中納言 藤原定家卿記
熊野道之間愚記略々建仁元年十月
五日 天晴
暁鐘以後営參、左中辨夜前示送云、折烏帽子可參、但し之三
八幡御幸 御幸入夜事
津之邊、可用立烏帽子、又高良御幣使可存、兼又曰、前使同
可勤也、 所所、御布施取可存知者
兼曰、俊光折之 短袴、柏、生小袴、下緒、脛巾
仍着折烏帽子 淨衣 昇縁
毎人 如此 用白、初度如此云々シトニタビ付
其議 御
邊坐、左中辨同如此、少時如例、御拜如例訖、出御門中庭
床几被懸 向門中央 應官、滅人形
晴光奉仕御禊 公卿以下列居、非供人々着布衣
御尻 奉仕之
履候門外御禊訖、應官等徹御精進屋被入、此間令相持御取始
了、末訖之間出御、殿上人取松明前行、非道者在前陣、出南
改衣帽参高良御奉弊便也
門、御御舩此間乘私舩下、先建早速立了」遲明改衣帽子
舩甚遲、構営参着大渡、出御御舩之間也、騎馬先陣公卿等多
乘輿、先陣了、入御宿院、有御禊、陪膳役人如日吉、事訖起
御床子 束帯
御座御 之間予進仕、高良御幣参上、取御弊授祠官 祝
男也
御歩 内府取御弊
之間即登坂自藥師堂方參儲自馬場昇御 御奉弊 御
行 被進
御拝
御拝祝了御神楽 廻御馬御随身引之、
間
次入御簾黄衣男取柱榊、黒衣僧懸幡萃幔、御経供養公胤訖、
清僧三
仲経俊宗予隆清有雅取布施 訖、即退下、騎馬出木津殿
口
人々晝食打屋形御所之儀等如例嚴重、予最前乘舩下、解衣装
着水干 先達次第申可融之
及一寝 申始許着ク木津 先約拝王子人々
御衣淨 由仍不相具
先約の文字上ノ註ニ加フルモ即「先達次第由可融之由先約仍不相具ス」
長房取之授御先
前後會合、良久御舩着御奉弊 御拝二度、先達部
達云々 進之
々退出、以後御経供養、里神樂了、上下亂舞宿老人々己前退
出、
即騎馬馳奔、先陣參坂口王子又如前儀、又先陣參コウト王子
公卿 御舩之
如前儀、又先陣參天王寺徘徊西門鳥居邊 少時入御
以下 後毎度
指御予等又々
御金堂禮舎利、公卿以下參進禮之、次々如形禮了、
騎馬先陣
ニ裏許
殿上人廻後戸方、取御経供養布施、導師之外十襌師云々
取具取
之如修
即下御、入御御所之後退出、入宿所、ユリ禮了、食依
二月等
窮屈今衣不參、御所又疎人、參所役云々」
猶々此供養世々善縁也、奉公之中、宿運令、全然感涙難奈御
供人
宗行在私共
内府、春宮権太夫 右衛門督、宰相中將公経三位仲信、
非供奉
大貳範光三位中將通光殿上人保家、予、隆清、定通、忠経、
有維、通方、北面略皆悉也、下北面大略又精撰仕此中、面目
過身、還多恐人定有吹毛之心欺、入夜左中弁出給題三首、明
日於住江殿可布披講云々、窮屈之間、沈思不叶
今夜宿讃良庄勤仕之
六日 天霽
先達相致
拂暁私出馬、指參阿倍野王子 次參詣住吉社先達日
奉弊六儀
住吉奉弊之事
奉弊、始而奉辨當社関悦之思舞極、依夜深入小宅休息、天明
内府被取継毎度如北 例袍衣冠男給御弊傳生□袍
訖、又參社頭辰終御幸御奉弊 御経ヘ養
衣冠男令申祝両人供給禄
総領町住江
訖里神樂、有相撲三番勝負負訖、入御御所 即披講和歌学
殿
勤講師
依召勤仕講師、内府被書序代詠吟訖、退下、小食帰參以前出
御馳奔、今日御馬也、次參境王子、次第又如例、次於境有禊
田中南
自此所先陣參畫御養御所、但此所不可有沙汰仍觸右中
付向也
例 先於松下有御楔宗行爲御
并、前陣次大鳥居新王子云々、次第如前次篠田王子又如前、
使參シタノ明神云々
次平松王子、於王子殊有乱舞沙汰、自是停御馬、歩入御平松
國皆悉儲假屋宛行、予等
新造御所、各入宿所 □?
此所、三間小屋也、板敷也
今日詠歌
初冬侍
初冬侍
太上皇幸住吉社同詠三首應製和歌
住江歌
御御歌
清書給 正四位下行 ・・・・・・・
清書給
住江歌
寄 社 祝
あひおいのひさしきいろもときはにてき
み可四まもるすみよしの松
初 冬 霜
ふゆやきたるゆめはひすはぬさ衣にかさねて
うすき志ろたへの袖
霜心己以髪髴爾間不及カ
暮 松 風
あはちしまかさせる志見のゆふまみれ
とゑふきをくるきしのまつかぜ
御製祝書云
かくてなほかはらす寄れ世しをへて
このみちてらすすみよしの神
△與ハ歟ナラン △歟
感歎之思難葉、定有神、威與、今遇此時拝此社一身之幸也今
九條 有実朝朝臣
日宿大泉庄 宇多 領状共不見來、左以不便、三間
殿 八條院姫宮
萱葺屋、風冷月明
七日 天晴
此王子萩王子
遲明猶取松明出路、參井口王子 於此所侍御幸、忠
云々先達相思
信少將乘輿來会奉弊語云昨日損足云々
小時臨幸次第如例、訖競出騎馬、參池田王子、於此所被引琵
小袖「襖」
琶、法師給物 従是先陣參淺宇河王子、不待御幸、又
歟 裏
△沐ハ木ナラン コ木ノニ王堂云、
先陣參鞍持王子又馳入晝食所 食了參胡沐新王子
吉祥音寺云々
従是指歩行也過御所、晝御宿此野鶴子云々、參サ野王子、次參
初 柏手子
籾井王子、相待御幸、良久臨幸了、御奉弊、里神樂訖、乱舞
及相府、次又白拍子加以五房友重二人舞、次相撲三番訖競出
騎馬、先參廓戸王子、即馳入宿所、此御宿惣名以信達宿、此
宛
戸廓戸御所云々如例有萱葺三間屋、自國充行、御所極近、還
×授講ナルベシ ×
懐恐、戌時許有召參上、被召入御前、被講二首、忽有定被書
直題、次第雪爲先、如例讀上了、御製又以殊勝
小文字ト
入夜二首當座
スルコト
寓 歌
暁 初 雪
いろいろのこのはのうへにちりそめて
ゆきはうづますしのヽめのみち
山 路 月
そでの志ものかけろちはらふみやまちも
またすへときをきゆうづきよかな
希有々々小文字二ツ書セリ
讀上了、人々詠吟、即退出
内府宰相中丞大貳三位中將下官、長房、定通、通方、信綱、
定長、清範等也
八日 天霽
拂暁出道參信達一之瀬王子、又於坂中祓
次參地藏堂王子、次參ウハ目王子、次參中山王子、次參山口
王子、次參川邊王子、次參中村王子、次入晝養假屋、所従
等無沙汰、其所甚荒、於此所有非時水コリ、相侍御幸甚遲、
忠信少將參會、小時先參此王子ハンサキ暫相侍之間御幸訖、
コノ処小文字ニ書ス ワザ井ノクチ 日前宮奉弊勤仕事 其儀
先出儲御祓所 日前宮御奉弊也、予爲御使、 小時
云々
宮
於此所有御祓、予取御弊立、御祓訖返給廳 乍神馬二匹令引、
相具御弊、參日前宮」
平
社頭甚嚴重、淨衣折烏帽子甚凡也、但道之習何爲乎、坐両社
如舞 敷薦ニ瘁A爲坐、 前後
之間中央石帖 上 依社司之訓、取御弊拝
臺 切中西東料歟 両段
御取御弊拝舞不知其例、諸社奉弊
付社司
使付御弊於司、以笏拝歟如何
付當影料云々普通束帶也、但此男大宮司男
社司指唐笠來 取御弊、以
云々、於其文戴紙冠、不出不戸外僅見在戸内
小文字ニテカク
黄衣「冠」神人、令入中門戸内、祝音聞訖、神人又出中門有
自本ニ 前
還祝、予立坐束薦又取御弊 拝付同社司、次第如例訖退
本也
於右帖下徹シト、猶着
出 自是向道甚遠、過満願寺之間僧等忽喚入、
脛巾奉仕、此役有恐
毎度日前御弊使參此寺云々、憖參入廳官、相具御誦経物、僧
由 不如先例
等称乏少之品 頗此興也、僧憖昇禮盤之間、予退出凌遠
似
なくち 先是又両王子御坐云々ササ王子平緒
路出道、參ナクチ王子 次參松坂
王子非道次之間不參先達許奉弊
有盲女懐子 シロ カ ト
王子次參松代王子、次參菩薩房王子自是歩指次參祓戸王子、
不及御所三町
次入藤白宿 窮屈平臥
許小宅也
九日 天晴
朝出立頗遅々間己於王子御前有御経供養等云々、維営參、白
拍子之間、雜人多立隔參路強不能參、逐電攀昇藤白坂五躰王
子有相撲等云々
△ 橘下王子 トウゲ 過藤代山△
道崔嵬殆有恐、又眺望遼海非無興、參塔下王子次參桐下王子、
イチツボ カブラサカノ
次參トコロ坂王子、次參一壺王子、次昇カフラ坂、參カフ下
宮原云々過 入小家
又山隹山鬼 次參山口王子、次入晝食所 次參い
御所入小家
いと 水逆流仍有
とか王子、又凌岨昇イトカ山、下山後、參サカサマ王子
有此名云々
湯浅
次又過今日御宿、三四町許、入小宅御宿、自上雖有例假
文義知音 義
屋、此家主依儲雜事入此所 先是又依文儀従男取宿所
男云々
先達
先入小宅之間件宅有憚之由聞付之、仍騒出入了、
如此
事不憚之由被称 了 ○
雖然臨時水ヲカキテ以景義、令 此湯淺入江
父喪七十日許云々
邊松原之勝景竒特也
○の下に左ノ一行アリ
又依有所思取潮コリカク、此臨時事也』
家長送題二首、詠吟窮屈之甚參術、乘燭以後又着立烏帽子
如一夜參上、小時被召入蔀内又依仰講師事了、即退出
題
深山紅葉 海邊冬月 愚詠
今日又二首當座 ‥‥‥‥此ノ所小文字ナリ
こゑたてぬあらしもふかき心あれや
みやまのもみちみゆき待けり
くもりなきはまのまさこにきみのよの
かすさへ見ゆる冬の月かげ
今日偏文義得意等沙汰田殿庄女房中納言殿便書遂不見來云々
十日
自夜雨降遅明休、朝陽漸晴、晝天猶陰」、拂暁凌雨赴道、參
クメザキ
程王子御座云々但依路遠向路頭樹拝云々 次參井関王子、
云々
川ナラン
於此所雨漸休、夜又雨、次參ツノセ王子、次天攀昇シヽノセ
山、崔嵬嶮岨、巖石不異昨日也、超此山、參沓カケ王子、過
シヽノセ椎原樹陰滋、路甚狹、此邊有晝食御所云々、又私
同儲之也暫休息山中小食、於此所上下伐木枝、随分造槌付榊
ツチ金剛
枝、持參内ノハタ王子、 各結付之云々次出此木原、又
童子云々
過野、萩薄遙靡、眺望甚幽、此邊高家云々、聖護院宮並民部
郷領云々此所共有便事、m末尋得、次又參王子田藤次云々次愛
くわま
徳山王子、次クハマ王子、次寄小松原御宿、御所邊向宿之處
己無之、國沙汰人成敗戲之、假屋乏少間ハ無縁者不入其員
占小宅、立簡之處内府家人押入宿了、不可出之由念怒云々
及
國沙汰人又非我進止云由後于云々只依人涯分偏頗歟、不□相
論又非可入身、此御所有水練便@ユ深淵、搆御所即打過遙尋
い わう ち
宿所、渡河參イハウチ王子、入此邊小家重輔庄云々宮戸部両人
便書如形到来、覺了阿闍梨自御山下向、今日於此宿相待、更
可伴參云々、以代官可足之由、難相示、猶丁寧之由也、乗燭
以下後甚雨、今
×歟ナラン ×
夜甚然不異三伏、着帷、南國之氣與、蠅多又如夏
十一日 雨降 申後聊休 入夜月朧々
此邊又勝
遲明出宿所、不知御幸超山參塩屋王子、 次入晝小食、
地、有祓
う へ
次ウヘ野王子野径也次ツイノ王子自此邊歩指次參イカルカ王
最狹小海
子、次參切部王子入宿所 御所前也、但國召宛云々小
人平屋也
「歩」
時御幸、 晩景又有題、即書之持參、戌時許、如例被召入
入御
讀上了退出、
暮無極品
二首
羇中聞波 野径月明
うちもねずとまやになみのよるのこゑ
たれをとまつのかぜならねども
於此宿所塩コリカク眺望海非甚雨者可有興所也病氣不快寒風
吹枕
十二日 天晴
遲明參御所出御前先陣、又超參切部中山王子、次出濱參磐
代王子、此所爲御小養御所、無入御、此拝殿板毎度被注御幸人
コノ処小文字ナリ 天 天
数先例云々、右中辨召番匠板ヲ放テカンナヲカク書人数
元
如 令打付之
建仁元年十月十二日
陰陽博士晴光未參上北面此人数中之
中其着無術之由以左中辨申入即可被
聽上北面之由被仰下了
御幸四度
御先達權大僧都法印和尚位覺實
御導師權大僧都法印和尚位公胤
内大臣正二位兼行右近衛大將皇太弟傳源朝臣通親
・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
己 三人下 此最未カイ五度
次々此殿上人北面僧寛快以下北面皆書之
隆俊有之
自是又先陣過千里濱此處一町許參千里王子、次參三鍋王子、
自此宿所御布施
自是入晝養所、食了、參御所之間御幸巳出御
以忠弘送遣之絹
六疋綿百五十匁「両」
馬三「匹」疋
送肝衣使事 於此濱御塩コリ
次參ハヤ王子、御幸入御之間、先陣參出立王子
御所有御禊云々
宿所權別等身上儲之
又先陣見田邊御宿入私御宿 御所美麗、臨河有
云々甚廣不似切部
深淵田邊何云々去夜寒風吹枕、咳病忽起、心神甚惱、此宿所又
以荒々又塩コリ、昨今之間一度一の有由、先達命之、但今
日猶遂此事
十三日 天晴
天明參御所、末上格子、先達參儲御拝所、近臣人々末出之
間早出前陣參秋津王子、春宮権太夫參會、又超山參九王子、
×ヤカミ(八上王子) × 此王子順御躰王子、
次ミス山王子、次マカミ王子、次稲葉王子
無事過差云々、御幸
之儀同五躰
次入晝養宿所、馬自此所停預置、師自是歩指、渡石
王子云々
田河、先參一ノ瀬王子渡之
河深急及股不
次參アイカ王子河間紅葉淺深、影映波、景風殊勝
不蹇袴云々
次昇崔嵬嶮岨、入瀧尻宿所、河灘忙山嚴石之中也入夜給
×□宮地博士ハ忙ナリト云々
使者遲來
題即詠之持參、如例披講之間、參入讀上了退出參此
云々
?
王子帰宿□
河邊落葉
そめなきをくれぬとたれかいはた河
又ふみこゆるやまひめのそで
旅宿冬月
たきがはのひヽきはいそぐたひのいほ
志つかにすらるふゆの「つき」かけ
輿舁装束送師事 師沙汰之力者十二人、豫不付之、使法師厚裝束
一寝之後乘輿 今夜付
十二相具師布施送了、紺藍摺ウハキ許也頭巾同相具
養山中宿、此所又不思議竒異小屋也、寒嵐甚難堪
×此処左ノ如書セリ 師沙汰之力者十二人預末付之、△藍相摺ウハキ許也 件法師師原裝束十二相具
師布施送了
△頭巾同相具 右ノ如ク書セルモ△印ノトコ相並ビテ書セルコト下文ノ如ク讀ムカ
十四日 天晴
天明出山中宿、參重黙王子、次參大坂本王子、次超山了入近
予時日出
露宿所 自瀧尻至「于」此所崔嵬陂池目眩轉魂恍々、昨
後也
渡河足聊損、仍偏乘輿、此宿近御所隔田午終時許御幸歩訖、
即給題
又 二 首
峰月照松 さしのぼるきみをちとせと「みやま」より
「まつ」をそ月の色ににてける
コノ処ニ又二首ノ文字アリアリ
くも
濱月似雪 「雪」きゆるちさとのはまの月かけは
そらにしくれてふらぬしらゆき
只今披講長房朝臣注進之驚即持參僻事也、供御之間云々、即
明月記ニ講縁トアリ × 讀上退出
退出、乘燭以後、又參上講際阿闍梨依召參蔀外讀経良久有召
參御前、又讀上了退出、即干時亥刻乘輿出道渡河、即參近露
云々
王子、次ヒソ原、次継櫻サクラ次中の河、次イハ神 夜中着
△明月記非水コリ 道間崔嵬夜 △
湯河宿所 寒風無爲方、有非時水
行甚有恐
十五日 天晴
×「所」ナルベシ ×
窮屈之間 此宿甚寒 此時今日御
天明後、水 訖、見御所禮了、 又出道
付寝了 依山 宿也然而儲
先
今日王子湯河次猪鼻、次發心門午時許着發心門、宿尼南無
陣
此宿所昂常也、件尼自
房宅 此道之間、常不具筆硯、又有所思、
× 柏 京參會相逢會釋給所着椎
一事他人大略
末書 此門柱始書一首、門巽各柱閑所也
毎王子書署
惠日光前懺罪根 大非道上發心門
南山月下結縁力 西剥雲中弔旅魂
いりかたき御のりのみかど今日すきぬ
むつ
いまより六のみちにかへすな
此王子寶前殊信心紅葉飜風、寶殿上四五尺木無隙間生、多是紅
葉也
此内又書付一首後、聞此尼
社後有此尼南無房堂 夕又水訖出王子御
制止不令書物云々不知書了
前所作了、月出山之間也
今日之深山樹木、多有苺苔、懸其枝如藤枝遠見偏似春柳
十六日 天晴
拂暁又出發心門、王子二内水飲被殿自祓う歩指參御前過山川千里、
左中辨在自
遂奉拝寶前感涙難禁、自是入宿所、遅明更帰參祓殿
夜在此邊
參寶前事
爲奉特御幸也、但数刻仍入近邊地地藏堂被寄更被寄衣
公私是云ぬれわ
巳時許御幸御供參寶前 即入御御所訖即退下、コリ
らじの入云々
御奉弊 新物御奉弊立烏帽子
訖、着奉弊装束 歸參数刻之後出御御奉弊
ハバキツラヌキ
其間事 令取御
左中弁取金銀御弊進之 此間親兼朝臣取白妙、御弊、御
御拜
御弊二本前後両段
拜訖、祝僧法眠被令申祝先證、誠殿以両所 次若
御拜如一社之儀
御弊 御所御拜ハ御弊ノサキヲ右ニ令持御 御弊四御拝
宮殿 次一萬十萬御前 祝申了、退之間、
五 皆同前
是所毎度事也 ・・・・・・・コノ文字ココニカク 乍立 礼殿云々
予取被物給之 即入御御経供養御所
給之
公郷在西、殿上人在束、御誦経俊家朝臣、親兼朝臣取布施、
コノ文字小文字
次公胤法印御経供養了、公郷被物殿上人取布施了、予退下
此間舞相撲等云々御加持引物不見其儀咳病殊更發無爲方、心神
如無、殆難遂、腹病痛瘍等競合
此事臨時依病
乘燭以後又コリ 又着晝装束、私奉弊先達相共參御
無術也
公私不替弊サキハ
前、奉弊其儀如晝御拜 稠人狼藉淺猿、次入注
左ニムケテ
経供養事 依稠人西 被物 爐有
供養所 導師來説法了 一次滅火 加持僧十二人來
経云々 裏物 火
依分具之綿
加持了、置布施 退出、自此経所路入宿所、抉病又參
各七両
御所、数刻寒風病身無爲方、深実被召入、二座和歌
發心門料二首遠近落葉 暮写阿波
和歌二座事 ・・・・・・・・・・コノトコロ小文字ニテ書ス
哥几非尋常希有不思議予
×窮屈病惱無爲方
發心門本宮人序
本宮三首内府有序
讀上了退出心中如己更無爲方
十七日 夜雨降
今朝猶陰風甚寒
明日新宮下向、舩更以無之云々、御所召以下皆闕如云々、扶
先 僧 事 西向禮改也公
病末時許參御所、以前出御了、芝僧供云々、御所
候左右殿上人
候
前庭両塔前東西行敷筵爲客僧座、山伏各引率其徒相替座、
庭
× 長袴張下袴
次第被引之、了即起又替、今日人々皆着楚々装束 予
獨不存、着日來御會装束、甚見苦此間參御前心閑奉禮、所祈
御 參 御 前 事
者只出離生死臨終正念也僧供了、令參御前候次第御所作了、
如昨日還御殿上人在前、公卿仕其後、次山伏御覧、公卿殿上
渡御前乘
人又候御前近邊、山伏作法恒例云々、依無要不委注 寒
舩入向山
クラヘ
風無術、見了即入宿所、今夜可有種々御遊云々此先達構競事
云々、依所勞臥宿所
十八日 天晴
「乘舩事」 所宛行始一艘乘舩間事、私三艘並四艘共下人等多
天明拜寶前出河原乘舩
止了略定侍三人力者法師二人舎人一人雜人等也
自精進屋所
覺阿闍梨房称老屈不參、圓勝房相具 川程有種々石等
伴先達也
出 新
或称権現 少入御結宮事
末一點許着新宮奉拜小時御幸如例、前行先令參寶前
御雜物
御奉弊事
給、次入御御前、次立烏帽子帰參、良久出御、御奉弊如本宮、
予取祝師之禄如前、事了、入御御経供養所之間、私奉弊、稠
人如件帰參取御経供養布施次如例乱舞次有相撲此間退下宿
所、入夜爲加持參寶前、僧等參着不來會、仍間事之由、示先
達參御所、例和歌訖退下、又有序、
十九日 天晴
輿持來仍猶乘之、傳馬等僅少
遲明出宿所又赴道、 × 山海眺望非無輿
之師沙汰送先達侍等乘之
御參那智等・・・・・→スコシサガル
此道又王子多数多御座、末時參着那智、先拝瀧殿嶮岨遠路、
自暁不食無力極無術
「奉弊」 奉弊
次拜御前入宿所、小時御幸云々、日入之程參寶前、御拜之間
傳公事 サガル
也又取祝師禄了、次令供神供御、別當取儲之公卿次第取継、
一萬十萬等御前、殿上人猶次第取継之、予同取之、次入御御
経供養所、取例布施、次験クラベ云々此間私奉弊退下宿所、
二座也一、明
深更參御所、例和歌訖退下 窮屈病氣之間毎時如夢
日香云々
二十日 自暁雨降
無松明、天明之間、雨忽降、雖待晴間、彌如注、仍營歩一里
甚雨 甚 雨 蓑 笠
蓑笠 許行、天明風雨之間、路窄不及取笠、「着」蓑笠、輿中如海、
宗
如林淙、終日超嶮岨、心中如梦末遇如此事、雲トリ紫金峯如
紫金越事
立手、山中只一宇有小家、右衛□督宿也、予相替入其所如形
小食了、又出衣裳只如入水中、於此邊適雨止了、前後不覺、
戌時許着本宮付寝、此路嶮難過於大行路不能遑記
二十一日 天晴
天明參御所出御之間前行參寶前、御拜了、入御禮殿又可有御
還御事
加持云々、此間退出、先陣馳奔湯河、晝食了、着近露宿所
発 陣
二十二日 天晴
養
拂暁出近露下瀧尻マナコ小家晝「食」了、末一點許着田邊宿
岩 内 × ハ
所、日入了之後、出此宿所過切部入イロ、明日可超三宿、遠
路稠人無術之間、今夜如此迷惑、鷄鳴之程入此宿所一寝、
二十三日 天晴
日出之後渡川過小松原、超シヽノセ山午始許入湯淺宿所、此
入湯淺五郎儲過差事
所五郎ト云男、宿所事甚過差、予之不堪感、引所餞鹿毛馬了、
今日適休息、終日偃臥
二十四日 天陰 雨降間休
暁出道超藤代山雨甚路次失度、入藤白宿所小食了、又出道凌
ヲノ山ナルベシ × 御所近辺也
雨超ヲ「シ」山、申時許入信達宿 國沙汰者、送如菓
假屋也
小 々
子「等々」物
二十五日 天晴
暁參御所、出御以前出道大鳥居小家食了、出過住吉天王寺入
自京家到來 入水無瀬
ナカラ宿所 仍渡之、但此宿細川庄成時沙汰也、人不
「入水無瀬」
來云々、仍即打出了、馳奔入皆瀬宿山崎前ニ宿所也、今日過
十五六里了
御幸ナカラヨリ御舩上御云々一寝
二十六日 天晴
鷄鳴之程御幸入御云々、但只今即出御之由、左中辨示送之仍
御參稲荷事・・・・サガル
立出、天明之程入御鳥羽御精進屋即又出御御幸、稲荷御拜御
・・・・・・コノ文字大文字本文トスル 「候」法筵 俊家中將予
経供養如例、此間私奉弊 取布施、 了、即入御
護 云々 導師布施
二條殿云儀猶、此人数可參云々然而觸小々人々自是退出、入
↓ココニ記入・・・・・・即禮世々參日吉事
九條小食了、即馳出參日吉依休、私宿願也・・・・ツヅク
於馬場邊遇春宮權大夫末時許參着奉弊了、即馳帰、於清閑寺
「明月記」今夜魚食トアリ ×
辺、取松明帰京、洗髪沐浴了付寝無食
今夜魚
二十七日
道之間雜物送先達許事
早朝道之間雜物悉以水洗之、又雜物等取聚送先達許、是恒例
云々、文義沙汰之
也
後鳥羽院熊野御幸記 終
昭和十五年八月十四年書寫之了
芝 口 常
楠
昭和廿五年三月廿五日書寫之了
清 水 長一郎
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あ と が き
父の蔵書の活字化を初めてもうすぐ二年になる。
今回も芝口先生から借り写本した『後鳥羽院熊野御幸記』を活字化した。
習字の下手な私では判読不明の文字が多かったり、注釈や釈文の意味
が判 らなかったり、位置がずれていたりしているかも知れない。又何人も
の書写 の為、何時からか誤植があるかも知れない。
最近では色々な出版社から、幾人もの専門家による『後鳥羽院熊野御幸
記』や『明月記』の出版があり、参照して誤植は訂正願いたい。
いま熊野古道を含む紀伊山地が、世界遺産に登録され「熊野古道」は「南
方熊楠」と共に一大ブームである。
友人の尾尻宏介氏が開設のホームページ『車で行く熊野九十九王子』に
此の写本を利用してくれている。 大変有難い次第です。
平成十六(2004)年十一月八日
清 水 章 博