次へ13〜16日へ  戻る    前へ5〜8日へ

 

熊野道之間愚記(読み下し文)
 九日 天晴

朝の出立頗る遅々の間、すでに王子の御前にて御経供養等ありと云々、営に參と雖ども白拍子之間、雜人多立ち隔てて路なし、強(あながち)參る能わずして逐電し、藤白坂を攀昇[五躰王子に相撲等ありと云々]道崔嵬殆んど恐れ有、又遼かなる海を眺望するは興無きにあらず。塔下(トウゲ)王子に参り、次(藤代山を過ぐ)橘下王子に参る。次トコロ坂王子に参り、次一壺(イチノツボ)王子に参る。、次カフラ坂を昇り、カフ下王子(カフラサカ)に参る(又崔カイ) 次に山口王子に参る、次に晝食所に入る(宮原と云々、御所を過ぎて小家に入る)次參いとか王子、又嶮岨凌いでイトカ山を昇る、下山の後、サカサマ王子に参る (水逆流すよって此の名ありと云々)次に又今日湯浅の御宿を過ぎ、三四町許り、小宅の御宿に入る。上より例の假屋ありと雖も、此家主は雜事を儲るによて此所に入る(文義知音の男と云々)是より先又文儀の従男に依って宿所を取ってまず小宅に入る之間、件の宅は憚りある之由これを聞き付く、仍って騒ぎ出でて入り了わんぬ[先達は此の如き事は憚からざるの由を称せらる父の喪七十日ばかりと云々]然りと雖へども臨時の水[ヲカキテ]景義以て祓わし了わんぬ。又思ふ所有るに依って潮コリを取ってカク、此れ臨時の事也り。
此の湯淺の入江の邊り松原之勝景竒特也り。
家長題二首を送る、詠吟は窮屈之間、甚だ術なし、燭を乘るの以後、又立烏帽子を着して一夜の如く參上、小時に蔀の内に召し入らる、又講師を仰するに依る。事了って即ち退出す

    深山紅葉  海邊冬月   愚詠
   今日又二首當座   
    こゑたてぬあらしもふかき心あれや
      みやまのもみちみゆき待けり
    くもりなきはまのまさこにきみのよの
     かすさへ見ゆる冬の月かげ

今日偏えに文義・得意等、田殿庄に沙汰す(女房中納言殿の便書)遂に見來せずと云々

 十日
夜より雨降る、遅明休み、朝陽漸くし晴る、晝天猶ほ陰る、拂暁に雨を凌いで道に赴く、程なく王子御座と云々、但し路遠きに依って、路頭の樹に向って拝すと云々[クメザキと云々]、次に井関王子に参る、此所に於ひて雨漸く休む、夜又雨、次にツノセ王子に参り、次にシヽノセ山を攀昇る、崔嵬(さいかい)の嶮岨、巖石は昨日に不異也。此の山を越へて沓カケ王子に参る、シヽノセ椎原を過ぎ樹陰滋り、路甚だ狹し。此の邊りに於ひて晝食御所在りと云々、又私に同じく之を儲く也、暫く山中に休息して小食、此所に於ひて上下、木の枝を伐り、分に随って槌を造り榊の枝に付けて、内ノハタ王子に持參し[ツチ金剛童子と云々]、各之を結付くと云々、次に此木原に出でて、又野を過ぐ、萩・薄遙かに靡き、眺望甚だ幽なり、此邊り高家と云々、聖護院宮並に民部郷領と云々、此所共に便の事あり、mし末だ尋ね得ず、次に又王子に参る、[田藤次と云々]次に愛徳山王子、次にクハマ王子、次に小松原御宿に寄る。御所の邊り宿に向かう之處、すでに之れ無、國の沙汰人成敗して之を献ず、假屋乏少の間、無縁の者は入ず、其員小宅を占め、簡立つる之處、内府の家人押入りて宿し了んぬ、出ずべ可ざる之由念怒すと云々、國の沙汰人又我が進止にあらざるの由、後聞と云々、只人の涯分に依って偏頗するか、相論にはおよばす、又身を入るべきにあらず。此の御所は水練の便≠りて深淵に臨んで御所に構ふ、即ち打ち過ぎ遙かに宿所を尋ね、渡河しイハウチ王子に参る。此の邊りの小家に入る。重輔庄と云々、宮・戸部両人の便書は形の如く到来す、覺了房の阿闍梨は御山より下向し、今日此の宿に於ひて相待って、更に伴い參べしと云々、代官を以て足るべき之由、相示すと雖ども、猶丁寧之由也、乗燭以後甚雨、今夜は甚だ熱し、三伏に異ならず、帷を着る、南國之氣か、蠅多く又夏の如し

 十一日 雨降
申の後卿かやむ、夜に入りて月朧々、遅明に宿所を出ず、山を越して(御幸を知らず)、塩屋王子に参る、(此辺り又勝地祓あり)次に昼屋に入りて小食す、次にうへ野王子(野径也)、次にツイの王子、此辺りより歩指す、つぎにイカルカ王子にまいる、つぎに切部王子にまいり、宿所に入る、[最もキョウ少なり][海人の平屋なり]御所の前なり、但し国召し宛つると云々、小時御幸入御歩、晩景又題あり、即ちこれを書して持参す、戌時許り例の如く召し入られ、読上げ了りて退出す、
 
二首は無極の品なり
裸羇中聞波 野径月明
うちもねすととまやになみのよるのこえ
  たれをと松の風ならねとも
此の宿所に於いて、塩コリカク、海を眺望す、甚雨にあらずば、興あるべき所なり、病気不快、寒風は枕を吹く

 十二日、 天晴
 遅明に御所に参る、出御以前に先陣して又山を越して切部中山王子に参り、次に浜に出でて磐代王子に参る、此所御少養御所たり、入御なし、此拝殿の板ニ毎度御幸の人数を注せらる、
[先例と云々]右中弁番匠を召して、板を放ちてカンナヲカク、人数を書きて元の如く打ち付けしむ、
 建仁元年十月十二日
     陰陽博士晴光いまだ参らず、上北面此
     人数の中、其署は術なきの由、左中弁
     を以って申入る、即上北面を聴(ゆる)
     さるべきの由仰せ下され了んぬ、 
 御幸四度
 御先達権大僧都法印和尚位覚実、
 御童師………………………公胤
 内大臣正二位兼行右近衛大将皇太子伝源朝臣通親
 ……………………………………
 ……………………………………
                   
次々此の如く殿上人・上北面・僧下北面
(覚快己下三人)皆これを書く
  
此の最末にカイ五房隆俊これあり、
これより又先陣して千里浜
[此所一町ばかり]を過ぎて、千里王子に参り、次に三鍋王子に参る、是れより昼養所に入り食了りて御所に参るの間、御幸すでに出御す、[此宿所より御布施忠弘を以て送り遣わす、絹六疋、綿百五十両、馬三疋]、
次に
[肝衣便を送るの事]ハヤ王子に参る、御幸入御の間、先陣して出立王子に参る、又先陣して田辺御宿を見て[此浜にて御塩コリ御所に御祓いありと云々]私の宿所に入る。[宿所は権別当上よりこれを儲くと云々、甚だ広く、切部には似ず]御所は美麗にして、河に臨み、深渕あり[田邊河と云々]。去夜寒風枕を吹き咳病忽ちに発し、心神甚だ悩む、此宿所又以って荒々し、又鹽コリ昨今の間一度これあるべきの由先達これを命ず、但し今日猶此事を遂ぐ。

次へ13〜16日へ  戻る    前へ5〜8日へ